エレベーターの男の眼

実は僕は11月1日にアフガンから帰国し、ある孤高なフォトジャーナリストの映像編集の事務所で、短期間の働いていた。先週、その仕事が終わった。
建物の11Fに事務所があり、セキュリティのため顔を認識する機械がある。無表情で認識カメラの前に立ち、顔の輪郭を認識したコンピューターが入館の許可をだす。誰も簡単には建物に入れないシステムになっている。建物自体は70年代後半に建ったようで、古いのだが、最近導入された管理機械は、子供のころに見たSF漫画の21世紀の文明を想像させる。
建物のオーナーがセキュリティの向上につとめたのは、以前、部外者が建物に入り込み、屋上から思い切った行為に至ったからだという。もちろん、そこには老人がたくさん住んでいるので、突然の訪問販売に備えている面も否めない。ただ一つ僕の主観でいえるのは、建物に入ってくるものに対する過剰な警備は、そこに関わる人にとって、とてもわずらわしい。屋上で起きたことと同じことを繰返さないためには、別の手段が考えられうるのだが、いまは警備によって異質を排除する。そういうシステムの建物になっている。
繰返すが、その建物に入るには、コンピューターが顔の認証を行う必要がある。しかし、認証が出来るのは、部屋の住人の中で2人となっている。事務所として使っている部屋のオーナーであるフォトジャーナリストと、そこで1年半の期間働くスタッフ一名のみ。
僕は短期間の季節労働者。顔の認証は人数制限上、僕には不必要だった。そうなると、建物の中に入る際、携帯電話で中にいるスタッフに着いた旨を伝え、誰が玄関まで出迎えなければならない。それは、他数名働くスタッフにとっては、非常に面倒だということになった。そして、僕が働き出す1週間ほど前から、アパート全体の要求で、玄関に警備員兼管理人が配置されたという。
コンピューターによるセキュリティ認証をせずに、建物全体の玄関を開けるためには、人が必要になる。その男は管理室にいる。
玄関の管理人の男は50代。
有名なセキュリティ会社から派遣されたワッペンを胸につけている。一日の中のほとんどは、人と話すことを断ち、黙々とエレベーターや玄関や駐車場に設置された監視カメラから流れるモニターを眺めつづけている。平日の朝8時30分から夕方6時30分まで彼のルーティンだ。
ただ、この玄関の男が管理室にいるときは、防犯カメラに向かって大きく手を振れば、男がドアを開けに来てくれる。
ある日、時間より早く仕事場に着いた。スタッフは誰も部屋に人はいなく、同じ職場で働くスタッフを玄関前で待つことにした。
それで、男と世間話をした。普段モニターを眺めているときは、無表情な人だったが「いつもご苦労さんです」そう声をかけると「いや。実はね」と彼の思いを語った。
僕らが働いている事務所のスタッフは総勢5名だった。名前は伏せるが、フォトジャーナリストの作品はとても鋭く、その道の大家だ。若いスタッフが彼のもとで働いていたので、男は彼とともに働く者の全てが、彼と共に海外取材を行っていると想像していた。
みんな外国に行ってたいへんでしょうと。話をはじめにきりだされた。
スタッフの実情は違った。それぞれの道を歩んで、たまたま、編集の場で落ち合っただけだった。僕は彼の話を打ち切らず、今ここにいる理由は、編集の仕事のみですと言いかけた言葉を飲み込んだ。そして、彼と話を長引かせたいと思い、こちらの事情の説明は省き、玄関前の自動販売機でコーヒーを買い、彼と立ち話をした。
「よく海外なんていくんだよね。お兄ちゃん。私は飛行機すらこの人生で乗ったことがないんだ。あの鉄の塊が空に浮くなんて信じられない。ここの機械は単純だけど、ホントよくわからないね、私は機械音痴だよ」と続けていった。そして「人間が作り出した機械は、信じられないんだ」と彼は哲学的にものを言うわけでもなく、ただの立ち話だった。彼の仕事はモニターを眺めることだ。彼の言葉は哲学かもしれないと感じた。
彼は以前何か別の仕事をやっていたのだろうと、想像は出来たが、立ち入って聞かなかった。見た目でわかるのは、50代の男だということと、ビルの管理会社から派遣されているということだった。
さらに詳しく話してみると、彼は過剰に「テロ」という言葉に敏感になっているようだ。「私には、全く想像できないよ。テロリストがいっぱいいるところにいって仕事するなんて。私には外国の難しいことはわからないけど、兄ちゃん、気をつけてな」と話をした。
僕はテロリストにも、家族も兄弟もいる。彼らの感覚は人間だと思う。彼らの親や兄弟を失って、その怒りと悲しみをぶつける方向に、テロがあるのかもしれない。そして、彼らの痛みを理解することは難しいが、僕らがどういう人なのかと知れば、その想像力で補える。
そう僕の思いを伝えた。
そうしているうちにスタッフがやってきた。
男は今、アパートの過剰な警備の中で働いている。
大きめな窓のある管理室でモニターを眺めているとき男の目は、筑後川に浮かぶボラの亡骸ような目をしていた。ピントが合っていない。不審な人がやって来ては、それを拒むことが日課になっている。外敵を拒むこと。不審者を拒むこと。受け入れることを無意識に、拒みつづけた先には何があるのだろうか。
彼も仕事という名目で、異物を排除することに対する疑問を、意識の中で感じているかもしれない。僕が無意識に思っていたことを教えてくれた。彼はモニターの中の現実を、毎日見つづけている。
今の日本も異物を排除するように、時代は構成されつつある。
テロは怖いと。
そして、他人への想像力を奪おうとしている。
その後、僕が見かける彼は、住民と世間話をしている姿が多かった。
しかし、モニターを丸一日ながめるルーティンはこれからもかわらない。

それから数日後、僕のプライベートで、とても大きな出来事があった。
僕はトイレやエレベーターの中で一人になると、人前で振りまくカラ元気をとたんに失い、一人で考え込んでいた。エレベーターには監視カメラがついていたが、それを気にしていなかった。
エレベーターから降り、玄関に差し掛かると、モニターを見つづけていた男は僕の何かを見たような眼で、ほほに少しの笑みをたくわえて僕を見た。
僕はエレベーターの行為が見られたと思い、恥ずかしくなり、カラ元気を振りまき、会釈をした。
しかし、とたんに彼の目はさめていた。
何も言わなかったが、お互いの想像力で何かを感じあった瞬間だった。
彼のさめた目は「テメーのくそは、テメーでふけよ」といいたげだった。
彼のつめたい目は、男の50年の生き様を垣間見たような感じがした。
-