〔映画『アフガン零年』の監督と遭遇]

アフガン零年の監督の遭遇」

昨日ネットカフェに行き、日本へのメールを送った。いつもネットカフェでノートブック専用席を使用しているのは、渡辺さんと僕くらい、そのほか、仕事で滞在しているヨーロッパ人しか見かけない。昨日に関しては、その席にアフガン人がいた。
使っているノートパソコンも最新型の良い物だ。そんな彼から、すごく流ちょうな英語で「日本人ですか?日本人ですよね」と訪ねられた。僕は、いつもシャルワルカミースという現地服を着ている。カメラを持たないで歩いていると、アフガン人からダリ語で話しかけられる。昨日学校にいたときも、何度もダリ語で話しかけられた。日本人そっくりジンギスカンの末裔と言われるハザラ族の地方からだろうと思われていたようだ。
アフガニスタンでは、公用語が二つある。一つはパシュトゥー語。もう一つはダリ語。パシュトゥー人以外は、アフガニスタンでほとんどダリ語を使う。少し分かる、パシュトゥー語で、僕は「バーミャンからやってきました。」と答えた。そのため、「あら、おかしいね。ダリ語が使えないなんて」と聞き返された。いや、「僕は実は日本人です」と笑いながら答えた。彼は「この前まで旅行で日本に行ったよ。東京や名古屋そして南の方の…長崎。そして、福岡に行った」旅行に行ったと。「福岡は飯が旨かった」と付け加えられた。僕は、アフガニスタンに僕の地元の福岡にいった人がいて、しかも、飯が旨かったと言われるだけでも、とても感激だった。
とはいえ、日本に行くことができるのは、アフガニスタンでも限られている。話す言葉や、周りを見る能力などを隣にいるだけで、かなり学がある人なんだなと感じた。全く嫌みを感じない学がある人だった。そして、僕がネットカフェを離れるときに、彼に、名刺をお渡しした。そして、相手の名刺を見た。たまたま、隣に座った方が映画監督シッデクさんだとは思わなかった。日本でも有名な映画「アフガン零年」を撮った監督さんだ。彼の映画は、対話プロジェクトのスタッフの一人がお気に入りの映画だ。その監督にたまたまお会いできたことに感動した。



「取材現場のない一日」
本日、これまで取った素材のラッシュを行うことになった。前回見たときは合計15時間ほどだったが、今回は25時間ほど。合計40時間ほどカメラが回っている。しかし、二人で40時間なので、実際の分量は、30時間ほどだろう。早送りで、印象に残った部分を思い出す。そしてチェックする。そう言う作業が続いた。それを一つ頑張る。そして、ネットカフェで、日本と二度目の実験を行う。前回のしっぱいを修正するために、あらゆる事を試した。
日本と今回は、映像と音のやりとりができると言うことが分かった。本日、日本とつながって、最初に伝えたかったことは、昨日映画監督SIDDIQ・BARMAKさんとお会いできたことを伝えたかった。また、ビーガンインマルサットも日本と確実に文字のやりとりができると分かった。それだけでも、満足だった。事務所とネットカフェを行き来しただけだった。取材を含め、行動は特にしなかったが、ただ、身体を動かさないせいか、いつもとは違う疲れが残った。