対話2回目 麻生高校―カライチャルディ高校

対話プロジェクトのため、カーブル市の西に位置するカラヒチャルディ高校へ。本日の対話は、麻生高校とカライチャルディ高校。
これまで機材のことで一杯一杯になっていた。金沢総合高校の小野先生に提供していただいたパソコンは調子が不良だった。そのため、9月の通信テスト段階で、パソコンはネットカフェから借り出すことになっていた。
カーブルに滞在している事務所の近くにネットカフェがあり、そこの店員サタール(21)をたたき起こす。前日の夜、7時15分にパソコンをピックアップすることを伝えていたが、まだ寝ていたようだ。いつもは7時に起きて、店番をしているサタールだが、彼は寝ぼけまなこで、ネットカフェの扉を開けた。昨日の夜になにかあったのだろうとそのときは何も思わなかった。
アジアネットという名前のネットカフェからパソコンをピックアップする。本日、通訳のモハマディンはビザの取得のため、弟のラザが通訳の代行をすることになった。パソコンを車に運び入れる。
ここのネットカフェのパソコンはかなりハイスペックである。OSもXPプロを搭載して、モデムも256M。回線さえ込んでいなければ、スムーズにチャットができることは確認済みだった。ネットカフェから学校までの道の半分以上は舗装されていない。パソコンがあるのでラザの運転も慎重だ。
そして、そのパソコンをカラヒチャルディ高校へ運び入れる。学校に7時40分到着。現在のところ、アフガンでインターネットをつなぐ手段では電話回線を使っているところは見たことがない。
カーブルでは衛星通信を行う。我々は、ビーガンサテライトという衛星回線を使う。この回線を使うためには、ビーガンのソフトをダウンロードして、そのソフトを使って人工衛星とデータのやり取りが行われる。こちらの家で個人的にネット回線を持っている人はまずいないといっていい。事前にビーガンを使ったテストは何度も行っていた。前回行われたデイクパック高校のときも、音のトラブルをのぞいて、技術的な通信はほぼうまくいった。
ビーガンを使う基本は場所選びだ。直接人工衛星に電波を飛ばすため、南側に窓のある教室を選ぶ。カーブルから見て南の方角189度の方位。角度50度の場所に人工衛星は静止している。その電波をキャッチできれば、電話回線がなくても、世界中のどこからでもインターネットができる。
しかし、日本とネット回線の事情も違えば、電気事情も大きく異なる。およそ夕方5時から電気がつき、およそ夜の11時まで送電が行われる。対話の時間は朝の8時から昼の11時ごろまで。その時間は送電は行われていない。そのため、自家発電用のジェネレーターを使う。万が一に備えガソリンも予備に5リッターを購入した。8時までにセットアップするためにネットの配線を確認した。
対話が行われるのはアフガン側の9時30分開始だった。日本との時差は4時間30分。日本は14時開始だ。ここまでの段取りは、麻生高校の風巻先生と前日までに、携帯電話とMSNメッセンジャーを使い、数回にわたり打合せをしていた。ほぼ、想定できる対応は整っていた。
いつもは部屋の掃除と我々の料理を作る元戦車兵のアフマド(34)は機械と電気系統には強い。壊れたジェネレーターの修理などお手の物だ。今日は電気と機械はオレに任せろといわんばかりに、裸になっているジェネレーターのケーブルを電源タップに巻きつけ、ジェネレーターを動かしはじめた。順調にことがすすみだしたかのように思えた。
実際、パソコンを立ち上げた。いつも、ビーガンソフトはパソコンの中に入っている。9月の段階でインストールし、昨日の夜もビーガンのソフトがあることを確認した。しかし、このパソコンの中に、ビーガンのソフトが入っていない。
「なぜ?」
頭が真っ白になった。
「間違えたパソコンを持ってきたのか?」そう思ったが、対話用のステッカーが貼られている。
これからCD―ROMでソフトをダウンロードすればいいじゃないと思ったが、CDからダウンロードできるのは、旧バージョンのソフト。それからアップグレードするためには、ネットが接続できる環境に移動して、ダウンロードする必要がある。本番まで1時間30分。
絶体絶命。
「もしかすると誰かのいたずらでステッカーを別のパソコンに貼ったかもしれない」そう思い、急いでネットカフェに戻る。もちろん店番のネットカフェのサタール(21)には携帯電話はない。学校からでは、どうにも確認はできない。
DNAディレクター渡辺さんは、「これからのセットアップは俺に任せて、ネットカフェにいって確認してくれ」という
ネットカフェに向う車の中、日本側になにが起きたのかを説明した。もしかすると対話ができないかもしれない。不安がよぎった。
飛ばしに飛ばした車が、ネットカフェに着く。サタール(21)は、店の中にいた。すでに8時15分を過ぎ、客も増えている。12台あるパソコンからどのパソコンに代わったのか判らない。
「ビーガンのソフトが消えた。他のパソコンに入っていないか?確認させてくれ」と急いで申し出た。「あんたらが持っていったパソコンは、あんたらの予約のパソコンたい」という。再び、サタール曰く「昨日、全て新しくしたと。この前まで使っていた衛星アンテナはスピードが出らんやろ?」何の話かさっぱりわからない。再び「衛星アンテナが代わったから早くなったんだぜ!お客さんもたくさん増えているじゃないか」というではないか。事情が飲めてきた、スピードを早くするため、このネットカフェで使っている衛星アンテナを昨日の夜に取り替えた。
そして、いらないソフト等を削除したということだ。
つまり、昨日の深夜、ネットカフェの新装開店を行ったようだ。ネットカフェのウィンドウズの達人サタール(21)は、明日の新装開店の準備に夢中になり、パソコンの接続速度を上げるため、これまでインストールしていた古いソフト等を削除していたようだ。やっと今朝の寝ぼけまなこの意味がわかった。
9月の段階で、私たちがビーガンのソフトをダウンロードし、バージョンアップした。そこで、店のサタールや他のスタッフに「絶対にこのソフトは消したらだめよ。今度、お外にこのパソコンを持っていくときに、このソフトがないと何もできないけんね。他のお客さんが間違って削除しないように、ログインするときにパスワードを設定して、そのログの中だけでこのソフトを使います。このソフトでビーガンインマルサットは起動するとです。これさえ守ってください。」という言葉をすっかり忘れていたようだ。
このことを伝えると普段はあまり人に謝らない傾向にあるアフガン青年サタールが、顔を青ざめたように「すいません」というではないか。アフガン人の青年が素直に謝ったことはこのとき大して意識しなかったが、かなり稀だ。
彼を責めても何も解決にならない。事情をDNAディレクター渡辺に伝えた。
ビーガンを使えるパソコンは予備のマック以外ない。日本側にも、ウィンドウズのパソコンで今後の作業ができないと学校に戻る車の中で伝えた。
日本側では小川さんがすぐにマックのI-visitというソフトをダウンロードしはじめた。
幸せは待っても待ってもなかなか来ないが、予期せぬ運命のいたずらは、突然やって来る。
この後、学校に戻って対話プロジェクトが再開。
時間は午前9時になろうとしていた。予定では、日本の高校の様子を事前にとって頂いていた。それを見てもらい、対話スタートを考えていた。
状況は、こちら側の映像は相手には届かず、日本側の映像はこちらで見ることができる。その状態で対話第二回目麻生高校とカライチャルディがスタートした。映像の双方向のコミュニケーションではなく、映像の一方行なコミュニケーションになった。非常に胸の痛い思いをしたが、できる限りのベストはこの状態だった。
麻生高校の学生には非常に申し訳なかった。それでも一生懸命に麻生高校の学生は映像を流し、音によるコミュニケーションで、対話が成立した。
パキスタン地震があった直後だったので、アフガニスタンの学生の質問には地震がなぜ起きるのかという質問もあった。こんな高等な話をよく質問するものだと感心していると、日本側の高校生もプレートの移動を説明するではないか。こういうやり取りに驚きながらも、ただ映像があればこの対話はもっと盛り上がったことを思うと悔やまれた。音が繋がっている状況の中、対話は進行していった。
そして、麻生高校とカライチャルディの対話終了した。
なんともいえない、煮え切らない感情を抱いたまま学校を離れた。
舗装されていない道路で大きく車がゆれ、パソコンのモニターが大きな音を立てた。急いで、車から降りて確認すると。元戦車兵のアフマドが、対話の交信中に新しく日本語を覚えたのだろう。「ダイジョウブ?」と話し掛けた。そうか。今日の対話中僕と渡辺さんは、しきりに「大丈夫ですか?」と日本側に問い掛けていたに違いないと、今日野対話を振り返った。
カライチャルディの男子生徒から日本の学生と話ができたことが面白かったと熱く語られた。今度、日本へ手紙を出すと言われたことが、今回の対話の成果だったのではないかと思えた。きっと学生が「大丈夫」な方向のコミュニケーションを続けてくれるだろうと思った。


対話プロジェクトのため、カーブル市の西に位置するカラヒチャルディ高校へ。本日の対話は、麻生高校とカライチャルディ高校。
これまで機材のことで一杯一杯になっていた。金沢総合高校の小野先生に提供していただいたパソコンは調子が不良だった。そのため、9月の通信テスト段階で、パソコンはネットカフェから借り出すことになっていた。
カーブルに滞在している事務所の近くにネットカフェがあり、そこの店員サタール(21)をたたき起こす。前日の夜、7時15分にパソコンをピックアップすることを伝えていたが、まだ寝ていたようだ。いつもは7時に起きて、店番をしているサタールだが、彼は寝ぼけまなこで、ネットカフェの扉を開けた。昨日の夜になにかあったのだろうとそのときは何も思わなかった。
アジアネットという名前のネットカフェからパソコンをピックアップする。本日、通訳のモハマディンはビザの取得のため、弟のラザが通訳の代行をすることになった。パソコンを車に運び入れる。
ここのネットカフェのパソコンはかなりハイスペックである。OSもXPプロを搭載して、モデムも256M。回線さえ込んでいなければ、スムーズにチャットができることは確認済みだった。ネットカフェから学校までの道の半分以上は舗装されていない。パソコンがあるのでラザの運転も慎重だ。
そして、そのパソコンをカラヒチャルディ高校へ運び入れる。学校に7時40分到着。現在のところ、アフガンでインターネットをつなぐ手段では電話回線を使っているところは見たことがない。
カーブルでは衛星通信を行う。我々は、ビーガンサテライトという衛星回線を使う。この回線を使うためには、ビーガンのソフトをダウンロードして、そのソフトを使って人工衛星とデータのやり取りが行われる。こちらの家で個人的にネット回線を持っている人はまずいないといっていい。事前にビーガンを使ったテストは何度も行っていた。前回行われたデイクパック高校のときも、音のトラブルをのぞいて、技術的な通信はほぼうまくいった。
ビーガンを使う基本は場所選びだ。直接人工衛星に電波を飛ばすため、南側に窓のある教室を選ぶ。カーブルから見て南の方角189度の方位。角度50度の場所に人工衛星は静止している。その電波をキャッチできれば、電話回線がなくても、世界中のどこからでもインターネットができる。
しかし、日本とネット回線の事情も違えば、電気事情も大きく異なる。およそ夕方5時から電気がつき、およそ夜の11時まで送電が行われる。対話の時間は朝の8時から昼の11時ごろまで。その時間は送電は行われていない。そのため、自家発電用のジェネレーターを使う。万が一に備えガソリンも予備に5リッターを購入した。8時までにセットアップするためにネットの配線を確認した。
対話が行われるのはアフガン側の9時30分開始だった。日本との時差は4時間30分。日本は14時開始だ。ここまでの段取りは、麻生高校の風巻先生と前日までに、携帯電話とMSNメッセンジャーを使い、数回にわたり打合せをしていた。ほぼ、想定できる対応は整っていた。
いつもは部屋の掃除と我々の料理を作る元戦車兵のアフマド(34)は機械と電気系統には強い。壊れたジェネレーターの修理などお手の物だ。今日は電気と機械はオレに任せろといわんばかりに、裸になっているジェネレーターのケーブルを電源タップに巻きつけ、ジェネレーターを動かしはじめた。順調にことがすすみだしたかのように思えた。
実際、パソコンを立ち上げた。いつも、ビーガンソフトはパソコンの中に入っている。9月の段階でインストールし、昨日の夜もビーガンのソフトがあることを確認した。しかし、このパソコンの中に、ビーガンのソフトが入っていない。
「なぜ?」
頭が真っ白になった。
「間違えたパソコンを持ってきたのか?」そう思ったが、対話用のステッカーが貼られている。
これからCD―ROMでソフトをダウンロードすればいいじゃないと思ったが、CDからダウンロードできるのは、旧バージョンのソフト。それからアップグレードするためには、ネットが接続できる環境に移動して、ダウンロードする必要がある。本番まで1時間30分。
絶体絶命。
「もしかすると誰かのいたずらでステッカーを別のパソコンに貼ったかもしれない」そう思い、急いでネットカフェに戻る。もちろん店番のネットカフェのサタール(21)には携帯電話はない。学校からでは、どうにも確認はできない。
DNAディレクター渡辺さんは、「これからのセットアップは俺に任せて、ネットカフェにいって確認してくれ」という
ネットカフェに向う車の中、日本側になにが起きたのかを説明した。もしかすると対話ができないかもしれない。不安がよぎった。
飛ばしに飛ばした車が、ネットカフェに着く。サタール(21)は、店の中にいた。すでに8時15分を過ぎ、客も増えている。12台あるパソコンからどのパソコンに代わったのか判らない。
「ビーガンのソフトが消えた。他のパソコンに入っていないか?確認させてくれ」と急いで申し出た。「あんたらが持っていったパソコンは、あんたらの予約のパソコンたい」という。再び、サタール曰く「昨日、全て新しくしたと。この前まで使っていた衛星アンテナはスピードが出らんやろ?」何の話かさっぱりわからない。再び「衛星アンテナが代わったから早くなったんだぜ!お客さんもたくさん増えているじゃないか」というではないか。事情が飲めてきた、スピードを早くするため、このネットカフェで使っている衛星アンテナを昨日の夜に取り替えた。
そして、いらないソフト等を削除したということだ。
つまり、昨日の深夜、ネットカフェの新装開店を行ったようだ。ネットカフェのウィンドウズの達人サタール(21)は、明日の新装開店の準備に夢中になり、パソコンの接続速度を上げるため、これまでインストールしていた古いソフト等を削除していたようだ。やっと今朝の寝ぼけまなこの意味がわかった。
9月の段階で、私たちがビーガンのソフトをダウンロードし、バージョンアップした。そこで、店のサタールや他のスタッフに「絶対にこのソフトは消したらだめよ。今度、お外にこのパソコンを持っていくときに、このソフトがないと何もできないけんね。他のお客さんが間違って削除しないように、ログインするときにパスワードを設定して、そのログの中だけでこのソフトを使います。このソフトでビーガンインマルサットは起動するとです。これさえ守ってください。」という言葉をすっかり忘れていたようだ。
このことを伝えると普段はあまり人に謝らない傾向にあるアフガン青年サタールが、顔を青ざめたように「すいません」というではないか。アフガン人の青年が素直に謝ったことはこのとき大して意識しなかったが、かなり稀だ。
彼を責めても何も解決にならない。事情をDNAディレクター渡辺に伝えた。
ビーガンを使えるパソコンは予備のマック以外ない。日本側にも、ウィンドウズのパソコンで今後の作業ができないと学校に戻る車の中で伝えた。
日本側では小川さんがすぐにマックのI-visitというソフトをダウンロードしはじめた。
幸せは待っても待ってもなかなか来ないが、予期せぬ運命のいたずらは、突然やって来る。
この後、学校に戻って対話プロジェクトが再開。
時間は午前9時になろうとしていた。予定では、日本の高校の様子を事前にとって頂いていた。それを見てもらい、対話スタートを考えていた。
状況は、こちら側の映像は相手には届かず、日本側の映像はこちらで見ることができる。その状態で対話第二回目麻生高校とカライチャルディがスタートした。映像の双方向のコミュニケーションではなく、映像の一方行なコミュニケーションになった。非常に胸の痛い思いをしたが、できる限りのベストはこの状態だった。
麻生高校の学生には非常に申し訳なかった。それでも一生懸命に麻生高校の学生は映像を流し、音によるコミュニケーションで、対話が成立した。
パキスタン地震があった直後だったので、アフガニスタンの学生の質問には地震がなぜ起きるのかという質問もあった。こんな高等な話をよく質問するものだと感心していると、日本側の高校生もプレートの移動を説明するではないか。こういうやり取りに驚きながらも、ただ映像があればこの対話はもっと盛り上がったことを思うと悔やまれた。音が繋がっている状況の中、対話は進行していった。
そして、麻生高校とカライチャルディの対話終了した。
なんともいえない、煮え切らない感情を抱いたまま学校を離れた。
舗装されていない道路で大きく車がゆれ、パソコンのモニターが大きな音を立てた。急いで、車から降りて確認すると。元戦車兵のアフマドが、対話の交信中に新しく日本語を覚えたのだろう。「ダイジョウブ?」と話し掛けた。そうか。今日の対話中僕と渡辺さんは、しきりに「大丈夫ですか?」と日本側に問い掛けていたに違いないと、今日野対話を振り返った。
カライチャルディの男子生徒から日本の学生と話ができたことが面白かったと熱く語られた。今度、日本へ手紙を出すと言われたことが、今回の対話の成果だったのではないかと思えた。きっと学生が「大丈夫」な方向のコミュニケーションを続けてくれるだろうと思った。