オリンピック

私は1979生まれなので、次にいつオリンピックのライブ映像を見られるか。

現場にはまだ行ったことがない。
たまたまブラジルにいるが、行くかどうか迷っている。

1980年のモスクワオリンピック。 全く記憶にない 福岡県大川市にいた。
1984ロサンゼルスオリンピック 柔道山下。幼稚園か。
1988年ソウルオリンピック 小学校。鈴木大地のバサロスタート。まねて泳ぐ。
1992年バルセロナオリンピック 中学二年のとき同学年の岩崎恭子金メダル。一つ上の学年バレー部の県大会の初日。
1996年アトランタオリンピック 高校生。野村さんと有森さんのゴールシーンを繰り返しニュース番組で見た。
2000年シドニーオリンピック 放浪中。パキスタンのラワールピンディのポピューラーインの屋上でラジオを旅行者と聞く。ライブ映像は全く見ていない。
2004年アテネオリンピック アフガンのジャララバードの某NGOの宿舎にて。野口のゴールを夜夜遅くまで見てそのまま工事現場に。
2008年北京オリンピック 祖母の初盆のため実家で北島の二度目の快挙を見た。
2012年ロンドンオリンピック 東京で編集を始めていた。東高円寺でボルドをみた。
2016年リオデジャネイロオリンピック わざわざ一番狙われる時期にリオに行って強盗にあいたくない。
2020年東京オリンピックは漫画のAKIRAの中でも中止だった。

このまま原発が動き続けると、手塚治虫火の鳥の未来編の世界が始まってしまいそう。
自然への畏敬の念を忘れた人間の知性は原子力エネルギーをコントロールすることはできなかった。

  

遠藤さん

このブログのはじめのほうにインドネシアアチェに行っている。
アチェでお世話になった遠藤さんの今日が誕生日だ。
生きていたら68才か。
だけど、遠藤さんは2011年に逝去されたんだね。

昼間っから瓶ビールを持って事務所に行って
一緒に付き合って飲んでくれる先輩は
いまのところ、あとにもさきにも遠藤さん以外いない。

取材の途中で、こんなやり方でいいのかなと今も
自分のやり方に確信を持てたことがありません。
だいたいこんな感じかと。
事実を積み重ねる。思いを積み重ねるんじゃないんですよね。

遠藤さんのこと忘れていませんよと伝えたいのですが、
どこにもいないので、ここに書いておきます。
ありがとうございました。

5年前

小島慶子のキラキラを聞いていた時でした。
たしかゲストが水道橋博士


毎朝、近所の豆腐屋で買う豆乳のコーヒーを飲んでいた頃でした。
これから起きうること、何も想像していませんでした。


追悼

バレー部だったころ

昨日のことやったけど、高校の時の友達がJTのバレー部の通訳をやっていて、試合を見に行ったとです。

通訳は通称、カメというあだ名で、良くも悪くも腐れ縁で、
20代のころ、私が世田谷の経堂に住んでいた時は、カメは隣の千歳船橋に住んでいて、
金がなくなると、二人で焼酎を買ってちびちびやっていました。

そんなカメが転職して、バレーの通訳をやっているので、恐る恐るバレーの試合を見に行きました。
なぜ恐る恐るかといえば、バレーから逃げていたからです。
福岡県庁のそばにある福岡市立体育館という建物でした。
実はわたしは中学の時バレー部でした。
全国大会にも出てベスト8でした。
優勝したチームを一番苦しめたほど、結構強いチームでした。
そんなかで一番へたくその選手でしたが。
ふと我に帰ったら、1993年に県大会の決勝戦をこの会場で試合をしたんだと思ったとたん、逆算したところ22年も前じゃないですか。
ある選手のプロフィールを見ると93年生まれとなっている。
驚きを越して、自分が生きていた時間を逆に意識しました。

高校の一年の時に交通事故にあって、膝を割って以来、続けて走ると水がたまる癖がつきました、
それでバレーをやらなくなりました。

それは言い訳で、たぶん自分がうまくないことを知っていたからでしょうが。
JTのチームのコーチをなさっている徳元さんは、中学一年のころバレーの九州大会で見かけて以来、
頭のどこかに、天才的な選手というのはこういう人だろうと思っていたところ、
昨日の試合で、JTのコーチをなさっていることを知り、遠くから拝見して涙が出るほどうれしかったです。

あこがれていた選手が、いつの間にかコーチになっている。
しかも、私と同じ年齢の選手なんていない。

宮下さんという同じ高校からJTに行った選手ももう引退していたということを改めて知りました。
同じ年の選手がもうほとんどいないことを考えたら、私はバレーを続けていたら引退していたんだと思いました。

まあ、バレーを続けなかったから、こうやって映画のことをやっているんだなと、つくづく痛感しました。
映画を作っている人としては、まだ、新人の登竜門みたいなものです。

高校の時の同級生は、変わったやつが多く、折に触れて連中のことを紹介したいです。

花と兵隊上映会

ひさびさの上映会の告知と近況報告です。

拙作「花と兵隊」の上映会が立て続けに8月に行われます。
登場していただいたの一人の中野弥一郎さんの故郷小千谷市で上映が行われます。
2009年10月に逝去されて以来、何度かタイのメーソットに通っていたのですが、登場していただいた方のおひざ元の上映は初めてです。
サンパウロでもちょうど2年前の2013年のこの時期に上映会を開いてもらって、それで登場していただいた坂井さんの親戚に観ていただけたのが、幸いでした。
タイトルの由来となった火野葦平さんのおひざもと北九州市でも上映されます。
この機会にまだ見ていない方も見てください。


昨年10月にタイで花岡稔さんが亡くなられ
私が知る限り、戦後タイに残ったすべての元日本兵の方が亡くなられました。
あと五年早ければもっと違った映画になっていただろうし、
あと五年遅ければ、映画になったかどうかわかりません。

今村昌平監督が亡くなって、もう10年経ちました。

今年の1月26日、藤田松吉さんの命日に
タイのランプーンの慰霊塔にそうじしようと行きました。
荒れ果てているだろうと思っていたのですが、
近所の人たちの世話で、きれいでした。
ほうきがありあり、はき掃除をするくらいでほとんど
私の手がいらないくらいきれいになっておりました。

上映会場には行けませんが、以下に情報をあげておきます。



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ドキュメンタリー映画『花と兵隊』上映会>
■開催日:8月15日(土)
■上映時間:10:00〜
■地域:新潟県小千谷市
■会場:小千谷市民会館 大ホール(マップ: https://goo.gl/maps/ayOwV
主催:良い映画を見る小千谷市民の会
公式フェイスブックhttp://on.fb.me/1H4VPEX
Tel:0258-82-2378 (小千谷新聞社内)
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<映画『花と兵隊』上映会>
■開催日:8月16日(日)
■上映時間:16:00〜
■地域:東京都新宿区
■会場:経王寺
(マップ: https://goo.gl/maps/bdnOP)
主催:JVCタイボランティアチーム
詳細問合せ・お申込先: http://www.ngo-jvc.net/…/e…/event2015/08/20150816-movie.html
E-mail: hanatoheitai0816(a)gmail.com
(a)を@にかえて、お問合せください。
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<此花平和のつどい2015>
■開催日:8月29日(土)
■上映時間:14:00〜
■地域:大阪府大阪市
■会場:此花区民ホール
(マップ: https://goo.gl/maps/TP9YQ)
主催:此花平和のつどい実行委員会
Tel: 06-6463-2222 (此花診療所内)
E-mail: deguti0806(a)yahoo.co.jp
(a)を@にかえて、お問合せください。
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<東田シネマ vol.09 上映作品『花と兵隊』>
■開催日:8月28日(金)、29日(土)、30日(日)
■上映時間:連日 13:30〜/15:45〜/18:00〜
■地域:福岡県北九州市
■会場:北九州市環境ミュージアム
(マップ: http://higashidacinema2014.blogspot.jp/p/blog-page.html)
主催:東田シネマ運営委員会
詳細問合せ・お申込先: http://higashidacinema2014.blogspot.jp/…/vol9-828829830.html
E-mail: higasidacinema(a)gmail.com
(a)を@にかえて、お問合せください。

大津さん

昨日、香港島に行くフェリーの中で大津幸四郎さんの逝去にふれた。
言葉を失い、フェリーの窓の外に視線をやると雲の割れ目から光線が注いでいた。

私にとって大津さんは、現場でも飯場でも分けへだてのない人でした。
熊谷博子監督作品の「三池」で大津さんが奥井さんと古い写真を物撮りをするときに、
熊谷さんから「人手が足らないから来て」と呼ばれて、大牟田市の石炭博物館に行くと、
会議室の奥で新聞を熱心に読んでいる、襟元を三つ編みをした髪の大津さんとお会いした。
初対面だったけど、その撮影された作品群は拝見していたので、緊張して話をしたのを覚えている。
2003年3月20日イラク戦争開戦のその日だった。
その後も熊谷宅や試写室やスタジオなどでお会いした。

2006年と2007年に、藤原敏史監督作品の「fence」で大津幸四郎さんの助手として現場を踏ませてもらったことが、
今となって貴重な経験だったということ改めて想いなおしました。
最期にお会いしたのは、「撮影術 映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事」にサインを頂いた時でした。
心からご冥福をお祈りします。
大津さん、ありがとうございました。