沖縄の伊波さん

motokiM2007-12-24


「北タイのファーンという町に一人の元日本兵が住んでいる。名前は伊波さん」とこの情報を教えてくれたのはタイ文学の先生だったが、電話番号の情報はまったく間違っていた。初めは、まだ日本人が北タイのファーンあたりにいるという噂話を聞きつけ、チェンライから町へ向かった。
ファーンには取り立てて観光事業があるわけでなく、英語ガイドブックにも地図すら載っていない。安宿を見つけたが、所帯染みた小太りのおばさんがたむろして住んでいる宿くらいしかなかった。宿の質に比べると値段が高いが、他に見当たらない。そこに宿を決めた。町を歩くとサムローという自転車式のタクシーには「人身売買はやめましょう」と英語で書かれた標語が掲げられていた。なるほど、ここはビルマ国境だからか、人買いが今も横行しているのかということを想像させられた。おばさんたちは街の売春婦だったとその日の夜にわかった。
日本兵で、伊波さんという名前しからないので、探すのに困っていた。町にある大きな市場にたどり着いた。商店の人に覚えたてのタイ語で「伊波さんという方を知らないか」聞いていたが、市場の人から不振がられるだけで、何の手がかりもない。しかも、何か言い返されても、タイ語がまったくできないので、途方にくれていた。すると、中年の女性から「アナタハ日本人デスカ?」とちょいとつたない日本語で話しかけられた。
なんでも10年前まで日本にいて、千葉県の銚子の飲み屋と缶詰工場で働いていたことがあったそうだ。日本語のできる方と偶然、知り合いになって、市場で聞き込みを開始する。すると、ナカモトという名前の日本人は以前いたが、この辺りにいたがイナミさんはいないぞと言われた。振り出しに戻った。おばさんの勧めで、近くの警察署に出向き、こういう人物を知りたいと申し出た。すると、気のいい田舎の警察署長は、数珠つなぎに情報がつなげ、ファーン南の町に伊波さんがいるとわかった。
翌朝乗合タクシーに乗る。毛玉がたくさんついた緑のジャージと、その上には民族衣装をまとったおばさんがかごを担いで乗合タクシーに乗ってきた。村役場のそばで小さな市場が出ていた。おばさんの荷物をみるとカゴいっぱいのキクラゲを持っている。到着した村役場の近くでは市場がでて、そこで食材や茶や漢方薬が売られていた。
いよいよ街に着いたが、外国に長年住む日本人のおじいさんの自宅に、突然行くのである。カメラを持った日本人の若い奴をみたらどう思われるだろうかと。それでその反応を知りたく、電話で取材に行きますと伝えるよりも、一人で飛び込んだほうがよかろうと思い立った。準備をするにしても、誰か知り合いを探すわけでもない。だから、何か手土産でもと思って、市場で売られていた干し椎茸とキクラゲとニガウリをもって自宅を訪ねることにした。ニガウリを買ったのは、イナミさんという苗字を聞いて、憶測だったが、沖縄出身の方だろうと思ったからだった。
タイとビルマの国境まで50キロほどの村に住んでいる。バイクに揺られて家に着くと、杖をつきながら出迎えてくれた。そこで伊波さんに会う。インパール作戦からの生き残りだろうと勝手に想像していたら「7年前にバンコクからここに移ってきました」ということだ。シンガポールからバンコクに向かう時に終戦を迎えたそうである。
生まれは沖縄。そして、8歳から大阪で育ち、大阪の町工場で職工をやっていた。22歳の時に工兵として召集されたそうである。
伊波さんは87歳。(続く)