空港のタバコ風景

22日に日本を発ち、いま、インドネシアアチェ州のロクスマウェと言う町にいる。ここに来るまで、3つの空港を乗り継いだ。マレーシアのコタキナバル、クアラルンプール、インドネシアのメダン、そして、バンダアチェ、バンダアチェで一泊した後、ロクスマウェという町にきた。二泊三日の移動だ。そして、この町に今後、数日間滞在する予定。
空港の話題に移る。

「コタキナバル国際空港」
まず東京-クアラルンプール間の移動は一度コタキナバルという空港に降りることが出来る。成田を発ってはじめにタバコを吸える空港。成田からコタキナバル国際空港まで数時間タバコと会えない時間があったが。飛行機に乗ってすぐ、すきっ腹にビールとウイスキーを飲んだのですぐに寝た。機内でも空港でもタバコに呼ばれなかった。

クアラルンプール国際空港
コタキナバルからクアラルンプールまでは大変だった。先ほど、熟睡していたためにコタキナバルからクアラルンプールまで起きていた。マレーシアのクアラルンプール国際空港に着く。クアラルンプール国際空港はとてもきれいな空港だ。この一言に尽きる。6年前、一度立ち寄ったことがあった。そのときは喫煙所を探した記憶がない。記憶が正しければ、まだ国際線と言えど、そのころのマレーシア航空は喫煙が可能だった気がする。しかし、クアラルンプールで、飛行機から降りるや否や、すぐに喫煙の誘いが、僕自身からやってきた。
僕がなぜ、いまアチェのロクスマウェにいるかと言えば、取材でDNA遠藤さんのアシスタントとしてやってきた。彼もまた愛煙家だ。そして、遠藤さんとここ一年近くアチェ取材を行っている谷沢さん。彼はインドネシア語を解す。彼は通訳兼アシスタントだ。僕より3歳年下なのだが、状況をわきまえて行動し、非常に紳士的な人だ。その3人で今回の取材を共にする。もちろん谷沢さんも愛煙家だ。
話は戻るが、クアラルンプール国際空港では、喫煙所を3人で探した。喫煙所は奥まったところにあった。喫煙所は、ガラス張りの部屋なのだが、夜中に空港に着いため、空港の周りの風景は全く見えなかった。タバコの煙に巻かれた喫煙所は、闇酒屋のようで、アルカポネが出てきそうな雰囲気だった。明らかに、空港全体のきれいな雰囲気からかけ離れていた。
そして、喫煙所を探すや否や、一目散でタバコに火をつけた。煙だらけの喫煙所は、誰が吸った煙か判らない、目が痛いほど、もくもくと煙の立ちこめる部屋でタバコを吸った。ここは東南アジアのハブ空港。喫煙所にいるのは、いろんな国からやってきている旅行者。みんな、タバコに呼ばれて喫煙所にいる。国籍は違うと言えど、ドアを開けて入ってくる利用者は、数時間ぶりに最初の一口をすっただろうとあきらかにわかる。
気持ちは判る。
そのうまそうな表情。
喫煙所にやって来る人は、実に気持ちよさそうに最初の一口を肺の奥まで吸い込む。そして、安堵する。まるで、サウナの我慢の果てにたどり着いた、水風呂につかる人のようだ。
そこにいるみんなは、僕らは、疎外されているんだね。この世の禁煙の流れから。僕らは、発ガン性の高い物質を空気中にばら撒き、非喫煙者に多大な損害をこうむる敵なんだね。タバコは人に迷惑をかけるんだ。仕方ないねと自分を納得させ、周りと同化した。
僕ら愛煙家は、タバコをそれでも吸う。自分がニコチン中毒だと言うことも理解している。国際空港であるここはきっと世界中の人があつまるニコチンの吹き溜まりだ。僕自身も愛煙家だから、君のタバコの臭いを嫌がらないよと、みんな暗黙の了解で、もくもくとタバコを吸っていた。
きっと、今後10年以上は、愛煙家は世界中から排除され続けていき、きっと30年後、あたりには、どこかの島国に、愛煙家の独立国家を作る愛煙家の独裁者が生まれるかもしれない。そのときは、兵士は武器を持たず、タバコの煙で元の住民を排除していくのかもしれない。拡張主義的に。

「メダン国際空港」
そして、メダン国際空港。この空港にたどり着くまで、クアラルンプールからそんなに時間はかからなかった。空港で荷物を引き取り、インドネシアに到着した。
インドネシアにきたのは、これが生まれて初めてだったけど、東南アジアのほかの国と同じように、排気ガスの臭いと蒸し暑い空気を感じた。
国内線の前で、バンダアチェ行きの飛行機を、洋風の唐揚げ屋の前で待った。
そこでタバコを吸っていると、少年3人組がやってきた。手にはコロッケみたいなブラシと大きな歯ブラシを持っている。
「兄さん靴みがかねーか?」と誘ってきた。
蒸し暑い国なのでサンダルがここの国の主流な履物だろうが、靴磨きの少年3人組は、空港にやって来る靴を履いている客層をターゲットとしているのだろう。
これで生活が出来るのかなと、少年のなりを注意してみていると、少年の服装はきれいだ。以前、旅行中に訪れたトルコの黒海沿いにあり、ロシア人が多い町トラブゾンで知り合った靴磨き屋の少年は、結局、靴墨のついた手のひらを見せてくれなかった。劣等感と屈辱感が彼の心を閉ざさせていた。僕も無理には見ようとしなかったが、彼らの社会的に置かれた立場はわかった。
しかし、メダンの靴を磨き屋の少年の手には靴墨がついていない。しかも、腕時計を持っている。専門の靴磨き屋じゃないなと無視をしていた。無視しても無視しても、大量の荷物を持った日本人に媚を売ってくる。先ほどまで喫煙者は、嫌われていたのだが、ここでは、愛煙家3人が平然とタバコを吸っていても少年3人組は靴を磨かないかと気にせず近づいてくる。
とにかく無視した。
そのうち、気がつくと、少年3人組が去っていた。
谷沢さんにわけを聞くと、たまたま、隣にいたオスギに似たおばさんが、少年に向って「お金を取るなら、外国人じゃなく、インドネシア人からとりなさい」と厳しい口調で言うと少年は、すぐに去っていったそうだ。そして、続けて、おばさんはこちらに向って「インドネシアには問題がたくさんあるの」と言ったという。
僕にはどんな問題があるのか、さっぱり判らない。

「バンダアチェ空港」

そして、バンダアチェへ向けて出発した。いろんな国の人が乗っている。飛行機の中では津波から一年が経とうとしているため、各国のメディアやNGO関係者が機内にいた。国内線の割には、外国人の率が高い。
空港に着いた。
バンダアチェ空港は、観光客誘致用のムツゴロウのイメージポスターさえあれば、まるで1980年代の国鉄佐賀駅のような牧歌的な雰囲気だ。
タラップを降りた後、乗客はたばこを吸い始めている。僕も降りてくる荷物を待ちながら、タバコを吸っていた。インドネシアの田舎のほうにいけば、あまり愛煙家は煙たがられないことを、谷沢さんに聞いていた。いままで、肩身の狭い思いをした愛煙家の僕らにとってとても心地がよい。
飛行機から運ばれてくる荷物を待っていると、谷沢さんに向って「どけ」とインドネシア語で言うヨーロッパ人の40代の女性がいた。
彼女がインドネシアの言葉を知っていると言うことで、彼女は長い期間インドネシアに滞在していることが想像された。NGO関係者風だと感じた。
すると、NGO職員風の女性が、口にハンカチを当ててタバコの煙を忌み嫌っている表情をしているではないか。これは失礼なことをした。そう思い、携帯灰皿に吸殻を入れた。
しかし、あたりを見渡していると、荷物運びを手伝ってくれるこちらの地元の空港職員は堂々とタバコを吸っている。ここでは、どこでも平気にタバコがすえるということが判った。インドネシアの人が吸うタバコは、チョウジいう薬草が入っていて、とても甘い香りがする。日本でお馴染みのガラムがそれだ。
しばらくすると、荷物を受け取ったヨーロッパ人のNGO職員風の女性が、こちらのチョウジ入りのタバコを吸い始めた。
あっけにとられたが、彼女にとっては、日本のタバコの副流煙は、ただ単に煙いので許されず、彼女が吸うこちらのタバコの主流煙は、甘いから、どこでも吸って良いと言うことではないだろうか。
それとももっと深い理由があるのかもしれないが、会話する切り口が見つからなかった。
「面白い女性ですね」と遠藤さんと谷沢さんと共にタバコを吸いながら空港をでた。
空には、入道雲と大きな飛行機雲があった。
煙は、青い空の中に消えていった。
ここは、インドネシアアチェ州。
郷にいれば郷に従おうと思った。