「モハマディンのラマザーン」「モハマディンの結婚」

「モハマディンのラマザーン」
今日は、KCC(カーブルカウンティングセンター)に、選挙の経過を調べに行った。その道中、通訳のモハマディンが「やべーちゃ。カードを家に忘れた」と言う。選挙取材用のプレスカードを忘れたのだ。これから向かう場所が、選挙関連の施設なので、セキュリティーチェックが入る。このカードがなければ中にはいることはできない。
そのため、まず彼の家に行った。たまたま家に忘れ物を取りに帰ったので、彼の家に行くことになったが、家に招かれたわけではない。
以前から彼の家族はどういう構成か知ってはいたが、どういう場所に住んでいるのか知らなかった。彼の家はカブールの北に位置する。舗装されていない道を山の斜面に向かって行った小高いところに家があった。彼の兄弟5人が住んでいる。一番上の兄を除いて、一緒の家に住んでいる。
彼の兄弟は4人が結婚していて、一番若い21歳の男がまだ結婚していない。一人の兄と3人の弟が一緒の家に同居している。兄弟も結婚しているので、勿論、家族が居る。ちなみに、エレベーターに一緒に乗った下から二番目の弟ラザには、二人の子どもが居る。
一つの屋根の下で23人が共同生活している。(奥さんに電話で確認する前は、18人くらいだなと言っていた)構成はこういう風になる。彼の父親と母親はすでになくなっているので、彼の家には、大人9人が居る。つまり4組の夫婦と若い弟がおり、一つの家の中に、子どもが9人いると言うことになる。日本では、正月に家族が集まっても、18人になるだろうか。
かつて、僕の父方の実家の正月には、20人ほどの大勢の親戚が集まっていた。日本の正月の家族構成の状態が毎日である。正月の時期を一緒に過ごし、正月の後は、バラバラになるのが、日本の家族かもしれない。
彼によれば、親子含め同世代の親戚が毎日家の中にいるので、子どもの兄弟のケンカが始まり、いとことのケンカが毎日起きるという。そして、大人のケンカがあるそうだ。
そう言うのを解決するのが、家の主であるモハマディンになっている。彼の家には一つ年上の兄が居るが、彼の方が稼ぎが良いので、彼が長になっている。
年長者を尊重するこの社会で、一人の兄を差し置いて、一家の主になるモハマディンの存在は珍しい。しかしながら、全てを解決するのは、もう一人の最年長の兄という。モハマディンの家には本家があり、その年長の兄が一番の権力を持ち、分家の代表がモハマディンという風にになっている。
モハマディンやその他の男兄弟より、力があるのは、女の方が圧倒的に強いという。家族の主権は女が握っているという。もめ事があるとそれを解決するのは男だが、実際に決定権を与えるのは、女だということだ。実は、女の出先機関として、男が行動している。
彼の家に到着するや否や、彼の家族が、家の周りをうろうろしていた。まずは、弟の息子と2歳になるモハマディン息子が現れた。家の玄関の後ろには、1歳になる息子を抱いた彼の奥さんも居た。遠目に見たが、彼の奥さんやその他の女も、気が強そうだった。
モハマディンは家にカードを取りに戻り、すぐに車に戻ってきた。その後、KCCに行った。そこでも一つ事が起きたが、また触れたい。
お昼を回った頃、彼はバテていた。ラマザーン最中なので、朝方4時半から何も口にしていない。2時半に、スタッフハウスに戻った。通常はラマザーン中は彼は2時に自宅に帰るのだが、今日は5時から引越しの話があると言った。
夕方4時頃、モハマディンのそばには、湯気がもうもうと出ている大きなヤカンと毛布はなかったが、あしたのジョーの力石の減量中のような姿勢でひっそりといた。表情にいつものような余裕はなかった。
彼の前で僕も対話プロジェクトの学生の資料を読んでいた。そしたら突然、彼が「あんたは、日本の女とは会わんでも平気なん?」と聞いてきた。詰まるところ、欲望の話だろうと感じ、「飯を食べれない方がよっぽど辛か」と答えた。彼は納得した。「しかし、声くらい聞きたいだろう」と訪ねてきた。こちらになんとしても女が居ないと辛いねと言わせたそうだったので、「辛かね。でも日本に帰ったら会えるから。いまモハマディンが飯を食べたいと強く思っているように、会いたいのかもしれない」と答えた。彼らしくなく、弱気な口調で「そうだろうお前も我慢してるんだな」と言った。僕は、「日中に口に何も入れない日が続くことの方が辛い」と念を押した。僕は朝7時朝食をとる。彼より2時間以上後に食事をとるから、彼より辛くない。しかし、ラマザーン中、彼と行動しているときは、刺激を与えないように、何も口にしない。今日も何も口にしなかった。彼の気持ちを判るには僕も本当のラマザーンを経験しないと判らないのかもしれない。



「モハマディンの結婚」
「あんたには嫁さんは居るね?」と出会ってまもなくモハマディンに聞かれた。深く身内や特定の女性の話は、こちらの男はしたがらない傾向にある。もちろん、嫁さんが怖いと言う話は良く聞くが、彼に直接、家族の身の上話を聞いたことがなかった。たまたま今日、彼の奥さんをみかけ、僕の彼女の事を話していたので、身の上話を聞いた。
彼の嫁さんは、父型の兄弟のいとこにあたる。父型の兄弟、こちらでは珍しくない。親が知っている女性と結婚することは当たり前らしい。逆に、恋愛結婚と言うことは殆どあり得ない。しかし、モハマディンはパキスタンにいた頃、伝統的な結婚より、恋愛結婚にあこがれを持っていたという。彼がパキスタンで生活していた21歳の頃、父がいとこの当時14歳の今の奥さんと結婚しろと言ってきたそうだ。彼がパキスタンでの難民生活中に、アフガニスタンで生まれたいとこのことは知らなかったそうだ。そんな顔を見たことのないような相手と結婚しろなんて!と腹を立てた。父がとにかく結婚するために帰ってこいと言ったそうだ。怒り心頭で実家に戻ると、いろんな人が集まっているじゃないか。初めは、俺の結婚式が俺の了承もなくほとんど進んでいるんだなと思ったそうだ。勝手に式が始まることは良くありえるそうだ。
しかし、そこに駆けつけている親戚の様子を見ると、泣いている人がいるではないか。特に、(こちらの女性が泣くときは全身をカラを振り絞って泣く)家の周りに泣いている人を見て別のことが起こっていることが判った。結婚をしろと言っていた彼の父が亡くなったそうなのである。
実はモハマディンの奥さんは、小さい頃に父親を亡くし、母親が別の男と再婚しため、親戚の家を歩き回っていたそうだ。そして、パンシェールに住む父親が、身寄りのないモハマディンのいとこに当たる奥さんを引き取ったという。
彼は、何がなんだか判らないうちに、彼女と結婚した。身寄りのない娘と結婚したと言う周りからの負い目を感じながらも、そういう娘だからこそ大切にしろと父の言葉を受けていた。
彼曰く、初めの娘が生まれて、2人目の娘も生まれた。結婚後4年目が、一番夫婦の仲が悪かったという。その頃、部屋で寝ていると夢の中で父親が出てきたという。
枕元に親が立つなんて、日本と同じではないか。と感心していると、父が「この女は、ほっておくととても危険だから、お前以外の誰も受け入れてくれない。だから、お前が大切にするんだ」とお告げを受けた。それ以来、自分の「自我を殺した」と言った。どんな女を見ても、関心の対象にはなるが、それ以上は望まなくなったと言った。そして、家族のために働こうと決心した。その2年後長男が生まれ、翌年、次男が生まれたという。現在奥さんは22歳。モハマディンは29歳。(自称)彼は、子供が生まれてくる度に奥さんへの愛情が強まってきたと言った。子どもが家族の絆を強めるのかとと感心した。
なんだか話が、うまくいきすぎているので、ところでこの前KCCでナンパしていた女の子とはところでどうなったのと、話を振ったら、満面の笑みを浮かべた。減量中の力石のような表情ではなく、たらふくご飯を平らげたような、日本昔話の力太郎のような表情が、彼のいつもの表情だった。
モハマディンの話はうまい。家族のことをブログに話を書きたいと申し出たのでかなりリップサービスをしてくれたようだった。どこからどこまで彼の創作話かどうか、誰にも判らない。ただ、彼はラマザーン中の最も辛い、西日が差し込む午後4時に、時が経つ暇つぶしがてらに話をしてくれた。
その時の彼の表情は力石だった。