〔対話プロジェクト実施〕

motokiM2005-10-05

「対話プロジェクト」

本日、対話プロジェクトが行われた。いよいよ初日。前日まで、機材等の準備に追われ、ここまでやっと来たという感じだ。昨日の遅くまで、日本側と、本番の準備が行われた。これまで、何度もテストを繰り返した。


実は一昨日の3日の夜まで、ラマザーンが10月4日か月5日のどちらかにはじまるのか、判らなかった。ラマザーンは、断食の月のことを言う。新月の夜から、次の新月の夜まで、約28日間、断食する。その日付も30年周期で、一年中をラマザーン月が駆けめぐる。今回のように、10月にはじまったり、年によっては、6月にはじまるときもある。


断食は、明け方、空が明るくなったあとから、日が暮れた後までの間、口に一切の物を入れてはいけない。水はもちろん、つばさえも飲み込んではいけない。朝食は、空が明るくなる前に食べ、夕飯は、空が暗くなった後から食べる。そのため、夏至の時期に重なると、かなり大変だ。

日本側との話し合いで、もし、5日からラマザーンがはじまれば、アフガニスタンは休日となり、学校も休みになる。もしそうなると、アフガン側の学生と代わって、日本側の生徒と僕が、対話するという話になった。具体的に、日本の学生に、ラマザーンについて話すべきか、これまでの過程を話すべきなのか、実際、何から話して良いのか判らず「よわったなあ」と考えていた。

この対話に、アフガン側の学生が居ないとなると、寿司で言えば、肝心の寿司ネタがなくて、その下にある酢飯だけがあると言った感じだ。勿論、ネタだけで酢飯がなければ、寿司はできないが、学生の参加がないのならば、対話をどうすすめていいのか判らなかった。

3日の夜9時頃、通訳のモハマディンから電話があった。ニュースによれば、4日からはじまるという連絡だった。新月の夜だったが、ツキが出た。5日に対話ができるので、こちらが準備を怠らなければ、寿司はできると心が躍った。


前日の4日は、遅くまで金沢総合高等学校の小野先生と日本側の石田の3人進行の打ち合せを行った。

今回の段取りを、確認することになった。本番前日に、先生に大変手間を掛けさせてしまったが、今回の対話のやりとりの内容が決まった。できるだけ、全ての学生に対話の機会を持って頂きたいのだが、時間に限りがある。準備段階で、ある程度、対話の形式を打ち合わせしなければならない。みんなが発言権をもち、対話の一分一秒でも無駄にしたくないというのが、関係者全ての思いだろう。

当日の朝、五時に起きる。ラマザーン中なので、僕もなるべく早い時間に食べることにした。本番当日で、機材を含め、確認するべき事がたくさん予想された。

タイムスケジュールは、カーブルと横浜には4時間30分の時差がある。カーブルの時間で、午前八時半に学校に着き、本番は十時から開始され十時四十五分に終わる。日本時間は、十三時に集合、十五時十五分に終わる。


実際の対話時間は四十五分が限度と考えられ、日本時間の二時半から対話が開始される。

対話以前に、両校の学生と、面識があったのは、僕だけだった。しかし、どのような内容の話し合いが行われるか、手元にある両校の学生のプロフィールシートをみても、想像できなかった。

対話の内容はもちろんだが、実際に今回使われる言葉に関して、どの言語で会話が行われていくのだろうかと思った。

実際、僕の高校時代を振り返っても、英語が好きな科目だったが、会話は全くできなかった。オーラルコミュニケーションは5段階評価の2だった。英語のとてもうまい日本人の先生とアメリカ人の先生に、クラスメートの目の前で、英語を喋ることは、英語を喋る人を演じなければならないので、苦手だった。今も英語が苦手だが、一人で貧乏旅行をしたり、こうやって対話プロジェクトの準備を進めたりするなかで、英語を喋る人り、理解をする人を高校時代より、演じることはできるようになった。しかし、文法的な正確さは、高校時代がはるかに良かったはずだ。


高校の時、たまたま帰国子女のクラスメートが居た。彼は、舌を巻いたRの発音をし、日本語の会話の最中でも、身振り手振りが、日本の会話の中で全く使わない仕草なので、アメリカの映画に出てきそうなキャラクターだった。嫌みのない彼の性格は、英語オーラルコミュニケーションの授業中、とても賢く見えた。


彼のように外国人と喋ってみたいと思ったが、実際、僕らの習っている英語が、外国人に通じるのかすら、ほとんど判らなかった。そもそもアメリカの映画で見る英語は、学校で習っている英語と同じ言葉だと思うまでに、その自信がなかなかもてなかった。いまもってアメリカの映画をみると、何を言っているのか聞き取れないことがほとんどだ。


アフガンの学生は、日本で習っている英語とほとんど同じ英語を使っている。映画に出てくるいわゆる隠語など一切使わない。日本とアフガニスタンのお互いの国に英語のなまりはあるかもしれないが、実際、日本の英語の授業で習っている内容で、ある程度は会話できるのかもしれないと思った。


実際、高校の時、アメリカ人の教師に英作文を添削してもらった。最近見た映画の感想だった。映画が好きだったので、たくさん書いた。思ったより訂正箇所がなかったことを記憶している。文章で気持ちは、通じるんだけども、なんで、会話は通じないのか判らなかった。いまは何となく、英語を喋る人を演じることが、会話への近道ではないかと思っている。


出発の前々日8月30日に、横浜のJICAの横浜事務所で、お話を聞く機会があった。その授業に参加させてもらった。そこで話をされていた方も、語学に対するコンプレックスをどう捉えるのかを話していた。


そのとき、金沢総合高等学校の高校生の自己紹介テープを撮影した。今回対話する日本の学生の顔を、アフガン側の学生に見てもらう。



あらかじめ、対話用に小野先生からハイスペックのノートパソコンをお借りしたのだが、アフガニスタンでの通信手段としては、このパソコンは不向きだと言うことが、それまでのテストで判った。そのため、インターネットカフェにパソコンを借りる。カブールにネットカフェはあるが、その使い手は、殆どが生活にゆとりのある階級に絞られる。電話回線は以前はあったと言うことだが、現在は回線の要らない携帯電話と衛星を使ったインターネットが、主な通信手段だ。ネットカフェから借りたパソコンで日本と通信を行うことになった。


さっそく8時半頃、デイクパック高校の教室に行き、機材のセッティングを開始した。今回の、対話プロジェクトには、現地では通訳のモハマディンとそのいとこの飯がうまいハウスキーパーのアフマドが手伝ってくれた。アフマドは、元戦車に乗っていた男だ。


機材の準備は、借りてきたパソコンをセッティングし、その後、衛星通信で日本に画像を送るため、B-ganインマルサットという衛星通信機を準備した。電機関連を、機械に強いアフマドに頼んだ。


テストを行おうとするが、電源が来ない。こちらの電気事情は、日本のように24時間電気が来るわけではない。夕方6時頃から夜に12時頃まで電気が来る。そして、ラマザーンシーズンの今は、明け方3時半頃から電気が来る。その他の時間で電気が必要ならば、ジェネレーターを使う。


今回の対話は、午前9時頃から電気が必要になるので、ジェネレーターが必要だ。しかし、用意していたそのジェネレーターがうまく動かない。電機関連を頼んだアフマドも何が起こったのか判らない。車で高校へ来る途中に、何度も揺れたので、それが原因でとまっているのかもしれないという。


ジェネレーターが動かないことは、こちらの事情では、かなり頻繁に起こる。アフマドは、プラグを交換すれば、必ず動くと言い、車で買い出しに出た。原因不明の機材トラブルのため、テストまでの時間に支障が出てきた。その数分後、何とかジェネレーターは動いた。何で動いたのか判らないが、以前も揺れた車に乗せたジェネレーターが動かないことがあったので、揺れが良くないと思った。


その準備に一段落した頃、デイクパックの高校生が教室の近くに現れた。おそるおそる初めの生徒が教室に入ってきた。そして、次々と教室に入ってきた。



教室内が学生でうまったので、まず、日本側の生徒が書いたプロフィールシートを配った。教室内で、横浜の校外教室の映像を流した。反応が徐々に高まってきているが、本番前のテストに忙しい。

その反応を撮影する余裕はなかった。そして、予定の9時半になって、衛星回線に支障が出た。衛星回線の受信率が通信不可能になっている。衛星回線なので、その回線を地域ごとでシェアしている。例えば、横浜の金沢で一人の人が一つの衛星回線を使っていると、スムーズに回線はつながるが、百人の人が一つの回線を使うと、その分、回線は混雑する。9時半の時点で、回線が混雑した状態になった。誰にもその状態は予測できない。しかも、教室内でも、シートにも目が届き、日本の学生の映像も一通り流れた。アフガンの学生も、いつはじまるのだろうかと不思議に思っている、日本側との対話の時間はすでにはじまっているのにもかかわらず、予定より10分以上遅れている。

インマルサットを再起動させると、日本側とつながった。

その後、日本とアフガン側のやりとりが行われた。



とにかく、つながっていることに感動だった。一昔前なら、衛星回線はテレビ局や軍事関連など特定の人以外は活用してなかった手段を、いまは、一般の人間がパソコンを使って、コミュニケーションができるではないか。この対話プロジェクトが何をもたらすのか、僕にはまだ判らない。月並みな言い方だが、人と人を結ぶ手段として、メディアがあるのならば、大きなマスメディアから伝えられる一方的な情報の配信ではなく、ミクロ単位で行われる意見の交換や、互いのことを深く知ろうとするきっかけになるのかもしれないと感じた。


その場に立ち会った人は、何を吸収し、何を考え、何を伝えたのかと学生の心にも強く残っているに違いない。その現場に立ち会ったみんなが感じた事ではないだろうか。


そうはいっても、次の麻生高校と金沢総合高等学校の対話の際、反省点が見つかった。そして、この対話プロジェクトの課題も見つかった。


デイクパック高校の校長先生が言ったことで興味深いことを言った。彼女は日本の高校に研修に行っている。そのため、日本の事情も把握している。こういう対話は、ただ一度やるのではなく、ある期間を設けて、その間、数回、対話を行うことはどうだろうかと提案した。その方が理解は深まる。その気持ちは分かるが、実際どう展開されるのか想像できない。


アフガニスタンの教室にこの衛星通信システムを持ってきた私たちは、単なる気まぐれで、アフガニスタンと日本の教室をつないできたわけではないが、現状では、アフガニスタンの高校に衛星通信システムをおき、それを継続して、活用していくような資金はない。たとえ、アフガニスタンの学校の若い先生が、ネットカフェで働くサタールのようにパソコンの知識を持っていたとしても、資金がなければ、それは同じことなのかもしれない。


悲観的な考えになったが、このプロジェクトはまだはじまったばかりで、手探りで動いている。対話に参加できるのは、日本側でもごく僅か、アフガン側でもごく僅か、まだ、両者にとって一握りの経験だが、経験を共有した全ての人に何らかのご縁があることを望む。