〔弟ラザのエレベーター〕

「弟ラザのエレベーター」


通訳のモハマディンは、今日別の仕事が入った。弟ラザが本日の仕事を行うことになった。デイクパックという高校に行った。学校の雰囲気がほぼ女子高なので、滞在しているときホントに気を遣う。学校の中がまるで子どもに占拠されたように混雑していた。学校の下校時など、子どもによって、川の流れが作られているような雰囲気を持っていた。
学校の生徒は4000人位いる。男子が6年生まで、女子は12年生までだ。要するに年齢が幼い男の子は、年ごろの女の子のそばに置いても、問題がないと言うことなのだろう。12年生の女子生徒など、18歳から20歳くらいまでの女子生徒になる。なので、見るだけでもはっとするような女子生徒がいる。こうやって学校に行けるようになったのも、今回のプロジェクトに関わっているみなさまのおかげだ。
その学校の中で学校の副校長先生とのインタビューを行った。その映像を日本に送ることに。撮った映像をすぐに、車の中で編集へ、その流れ作業がおこなわれた。
昨日の夜中までにまとめた素材を、今朝一番に日本に送るてはずになった。撮った素材をそのまま車の中でコピーし、それを日本側に送る。NTNという宅配屋に出向き、日本に送った。
その後、飯を食べようということになった。弟ラザは、昨日地元のテレビの放送で新しく買い物や食事をするビルができたから、そこにいかないかと誘った。
今から30年ほど前、アフガニスタン一のお金持ちパシュトゥー人が、アメリカに移動した。その人物が、アメリカで事業を起こし、このビルを建てたという。彼は今もアメリカにいるという。地元のテレビの取材で彼は、今後、数十年はアメリカから出ないだろう。と昨日の夜の番組で語ったそうだ。
一旦そのビルに入ってみると、その建物は、アフガニスタンにあり、アフガニスタンの建物ではないように西洋化されたビルだった。今日が開店初日なので、中で接待を行うスタッフもぱりっとしたスーツを着こなしている。対応している人は、田舎の成人式のようなど派手なスーツではない。ニューヨークののオフィス街にいる中東から来たビジネスマンのような着こなし方をしている。そして、彼らの英語は殆どなまりのない英語だった。
建物の大きさも日本の中都市にあるデパートほどの大きさで、ここには日本製のカメラから、アメリカのブランドの服装まであらゆる外国製品が置かれていた。建物の中には、ホテルもあり、一泊100ドル以上もする。巨大なアメリカのショッピングモールの一角が、アフガニスタンに現れていた。
その建物には、エレベーターがついている。エレベーターで2階から7階まで行くことができる。7階にレストランがあり、そこで昼食を取ろうということだった。桁外れに、アフガニスタンの雰囲気がないこの建物に来ることができるのは、カーブルのほんの一握りの階層の者だけのようだ。
日本でエレベーターと言っても、世田谷の経堂にあるピーコックの中にもある。日本の商業施設で3階以上の建物にエレベーターのない建物を日本で探す方が難しい。アフガニスタンでエレベーターを見かけたのは、教育省の建物が唯一だった。しかし、その建物のエレベーターの一つは壊れていた。
弟ラザは、入ったとたん「すごかですね。この建物は」という。彼の服装は、兄、通訳のモハマディンより、洗練されており、カーブルの若者でもかなりハイカラな男だ。
以前に書いたように、彼ら兄弟は、パキスタンの山岳地方(標高5000メートル以上の山々に囲まれている)チトラールで15年間、幼少生活を過ごす。そして、その後も、ラホール・ペシャワール・カラチで青春時代を過ごす。パキスタンの大都市で生活を送ったことがあるので、彼はエレベーターに乗ったことがあるのだろうと思った。
しかし、エレベーターがやってきて中に入る。
渡辺さんとラザに「この建物はアフガニスタンにあるモノだと思えませんね」と話題を振った。ラザも子どものようにはしゃいだ声を出し、「何ですか。ここはアフガニスタンじゃないみたいですよ」という。ラザは雰囲気が落ち着いた男だ。その男が何でこんなにエレベーターで感動しているのかなと思った。
7階のレストランについてすぐ、「この乗り物に乗ったのは、生まれて初めてです」といい、彼のはしゃぎように納得がいった。
この建物のランチが遅く始まると言うことだったので、別のアフガン料理店に行った。建物から出て1時間が経っただろうか。そこで、彼は再び「まだ、胸がドキドキしています。エスカレーターに乗っていたとき、上に床が動いたので、おもわず、手すりをがっちりつかんでしまいました」そう言った。冷静なラザがまだ興奮している。
ラザは、ひょっこりアルプスの少女ハイジが出てきそうなチトラールという村で15年間難民生活をしている。彼は車椅子に乗ったクララの前に立っただけで、クララが車椅子から立ち上がり、「クララが立った!!!」と大きな声を出して一緒に喜びそうな男だ。
今日、チトラール育ちのラザの前に現れたのは、二人の日本人と、床の動く乗り物だった。普段より、この乗り物に乗り慣れている日本人の僕は、彼の表情を見て、この床の動く乗り慣れてしまった事に気がついた。指定された階に人を運ぶこの道具に僕らは驚かず慣れている。アフガン人の力強さに心を動かされる今日このごろ、この乗り物に慣れている僕は、その感覚からはやく立ち上がりたいと強く感じた。