〔アフガニスタンの大学生〕

アフガニスタンの大学生」


明日の朝、つまり、9月16日の午前7時にアフガニスタンの選挙前の運動がすべて終わる。本日は渡辺さんと別れて、一人で行動することに。渡辺さんは、シュマリ平原のカラコム村に行く。


かつてコマンダーだったハッジ・ムハンマド・ダウードさんの選挙活動の取材に出かけた。そのため、二班に分かれて行動した。僕は、通訳のモハマディンが今日のために手配した弟ラザと二人で行動した。女性候補者、サブリーナの選挙活動を追うことになった。候補者のサブリーナも弟ラザも僕と同じ26歳である。


車の中で話していると、モハマディンは、面倒見の良い兄貴のようだ。弟は、アフガニスタンに生まれ、その後、モハマディンと同じようにパキスタンで幼少生活を過ごす。パキスタンのチトラールと言う地方だ。僕が、貧乏旅行中に行ったパキスタンの北西辺境州のチトラールの雰囲気は、アフガニスタンの村のようだったことをおぼえている。


その村で彼ら兄弟は、15年間難民生活を送る。そのおかげと言うべきか、その後、パキスタン各地での生活が長かったために、彼はなんと7カ国語を話すことができる。ダリ語ペルシャ語、チトラール語、パシュトゥー語、ヒンディー語ウルドゥー語、英語である。すごい。
彼と共に、女性候補者サブリーナの事務所に行った。彼女を一日密着というのが、渡辺さんからの指示だったが、彼女に申し出を行うと、断られる。


プライベートな友達と会うことになっているという理由だった。選挙前日に、「プライベートな友達はないだろう」と思ったが、しょうがない、彼女がそう言っているのだから、押しても難しいのかもしれない。彼女はアフガニスタンの政党に属していて、それに関し、選挙関連で動くのだろうと自分を納得させた。そして、次の予定を聞き、4時にまた、取材することになった。その間、時間が空いたので、大学生の取材を行った。


カーブル大学へ行った。まるで大学生の自治会のような運動を展開しているが、さすがは、カーブル大学の学生。彼らの、政治に対する関心は日本のそれをはるかにしのぐ。どの学生も政治に対して「語る」事ができる。内戦など様々な経緯があって、彼らの政治に対する関心が生まれたことは想像できる。今回出馬しているアセーフもそうだが、他の学生に、どんな政治が望ましいのか、そして、上の世代に対してどう思っているのか、意見が確実に出る。



日本は1960年代後半の学生運動の盛り上がりを境に、徐々に政治に対する関心が薄れた。彼らは、日本の若い世代に関心がある。取材を通じて僕のような若い世代の日本人と関係を持ったためだろう。彼らから、一緒に食事を取ることに招かれた。



僕は、モハマディンの弟ラザと食事をすることになっていたから断った。「この飯は汚い訳じゃないから食べないわけ?」と聞かれた。話を聞いていると、昨日、彼らに取材を申し込んだ外国のメディアの物が、彼らから差し出された物が、「衛生的ではない」と言って断ったようだ。そのメディアの方がどういう意識で断ったのか、分からなかったが、ラザとの食事の前に、彼らから差し出されたおやつのようなもの(薄く焼いたナンにニラを混ぜ、それをあげたもの)を食べた。それだけで、彼らの表情が変わったことが分かった。きっと、その言葉に彼らは傷ついていたことが想像できた。帰り際、学生候補者、アセーフから「今度、ゆっくり話をしよう」と誘いを受けた。