〔アフガニスタンの田舎の空気〕

motokiM2005-09-13

アフガニスタンの田舎の空気」


今日、シュマリのと言う地方のカラコム村に行った。三年前DNAが取材した土地。現在はのどかで、ひっそりとした農村だ。しかし、ここも数年前までは、内戦の激戦地だということ。また現在でも砲弾が落ちていて、地雷の処理は続いている。


今回、はじめて訪れて目についたのは、ぶどう畑があった。3年前、DNA製作の番組では、ぶどうがかれていた。「これを元に戻すには、三年はかかるだろう」と番組にて伝えていた。それから三年後、渡辺さんは、かの地を再び訪れた。


かつて取材した村の人々は、渡辺さんのことを覚えていた。取材した家族の人々は、私たちを出迎えてくれた。特におじいさんは「お前等は悪い友達だ。三年もここを訪れなかったのに、、、」と出迎えてくれた。「半年や、一年、いや二年でも良い。そのくらいに一度連絡をしなさい。今回、3年も連絡しないで」と笑いながら言った。彼の息子が摘んだ甘いぶどうをごちそうになった。昨年、ここのおばあさんが亡くなったそうで、もし彼女の写真があるならば、もらいたいと申し出を受けた。

ここで、アフガニスタンの田舎の空気を感じた。今日までずっと、カーブルにいた。UNや軍車両を毎日見かけていた。カブールにいるとなんだか外国のような感じがしていた。と言うのも、僕は実は昨年、ジャララバードに基地を置く、あるNGOに短期間在籍したことがあり、今日訪れたような村の村人と共に用水路をつっていたことがあった。


僕のなかでは、アフガニスタンの印象はまさに農村のイメージがとても強い。その用水路の工事現場は、月の明かりであたりがあたりすべて見渡せるほど、のどかなで静かな村だった。その時のことを思い浮かべながら、村にいた。村についてすぐ、前回お世話になったガフールを探そうとした。そのときに、チャイハネでひまをつぶしていた少年が案内を買ってくれた。彼は12歳だという事。印象としてとても素直な少年でした。こちらの少年はとても素直です。ニッコリ笑わないで、はにかむ。


少年が車に同乗し、道案内をした。話の途中で、彼の父親がムジャヒディンだったことを誇らしく語ったが、すぐに、彼の父は、タリバーンとの戦闘によって10年前に殺されたと言った。このように戦闘で家族を失った人は、この地ではたくさんいると言う。
少年の案内で村の集会場に行った。その場所は、民家の一部を利用した場所。目の鋭い老人がいっぱいいた。ここに限らず、アフガニスタンの農村では、老人はとても大切に扱われる。そのため、老人は演説者に近い席に座り、若者は、後方に座る。



初め、カメラを持った我々外国人に鋭い視線が向けられたが、日本からやってきたというと、その視線が穏やかになった。演説後、その場所に来ていた人の全てに食事に渡された。
食事中、たくさんの子どもが会場全部に配られた振るまい飯を旨そうに食べていた。振る舞い飯は、レーズンと羊の肉が乗っている。昨年、訪れた農村では、結婚式や大事な出来事がない限り、余り肉を食べないと言うことだった。ここもそうなんだと感じた。少年が飯を食っている表情が、あまりにおいしそうな表情をしていた。食事後、そこを後にした。排気ガスと、砂埃、そして人混みが混沌としたカーブルの町に戻った。