もろもろ報告!サンパウロ到着

三畳間は4月2日に引き払った。

最後のお客さんは空族の相澤虎之介さんだった。


サンパウロの国際空港に到着して、誰も迎えに来ないはずだったが、Matsubayashiと書かれた私のネームプレートを持った男がいた。
E tudo Verdade映画祭の関係者だという。素直に信じて、彼の案内で携帯電話のsimを購入した。
その男は、フィリペという。日本のやくざ映画が好きらしい。彼の運転で、宿泊先まで。
数分で映荷物だけ置いて、映画祭のオープニングへ。すでに経堂の自宅を出て既に36時間以上たっていた。
映画祭にはこれまで何度か参加してきたが、南米の映画祭は初。

時差ぼけ防止のために、中継地のドーハから飛行機で眠り呆けた。
しかも、この映画祭自体、日本人ゲストははじめてだろうということだ。
オープニングセレモニーで地酒のカシャーサピンガ)をかっくらって、へろへろになって、きれいな女性とヘラヘラ話をして、時差ぼけを切り抜けた。

今回、私がやってきたのは拙作「祭の馬」の上映と、今村昌平監督のドキュメンタリー映画の特集上映があり、そのゲストで呼ばれた。

本当は、他の適任者がいたのだが、その方が諸事情により不参加に、私が代打で今平ドキュメンタリーについて語ることになった。おこがましが、代打で立てる打席としてはこれ以上この上ないことはない。
拙作「花と兵隊」で中心的な登場人物の藤田松吉さんが、今平監督作の「未帰還兵を追って タイ編」と「無法松、故郷に帰る」で登場していた関係で、それを後追いしたことは、何度も述べた。
作品を公開している時にオリジナルじゃないと散々批判を浴びたが、今回、松林なら藤田松吉さんを中心に話せるだろうということで映画大学の先生の計らいで、私が行くことになった。

サンパウロ、ひいては南米でも初の今平ドキュメンタリーの特集上映。
サンパウロの町の中心街のSeからあるいて数分、銀行の2階にある70人のキャパの会場だ。
ブラジルの銀行が税金対策のためにこういう芸術関係に金を出している、銀行での上映はほとんどタダだそうだ。
日本で言えば、新宿のみずほ銀行の2階に70人規模のアートシアターがあり、海外の監督作品の特集上映を開いて無料で映画を観れるようなものか。

そんなこと100年たっても日本ではありえないだろうが。

今村ドキュメンタリーで上映されるのは、「人間蒸発」「未帰還兵を追って マレー編」「未帰還兵を追って タイ編」「ブブアンの海賊」「無法松、故郷へ帰る」「からゆきさん」以上の6本。
今回話すのは「人間蒸発」の上映後だった。
「人間蒸発」の舞台裏は、今村さんの書籍なり、その後の批評家の書いてきた本なりで読んできたことを話した。
拙作と今平ドキュメンタリー作品がどういう風に関係があるのかと、まず司会の有名なジャーナリストから問われたが、無法松の強烈な印象を述べただけで、何と答えたのかほとんど忘れた。

約一時間半のQAがあり、会場からは難しい質問から、映画学校での今平さんの先生ぶりを話すことを求められた。
映画学校では「人間研究」というルポルタージュの授業が入学してすぐに行われ、調査をして、取材のアポを取り、ルポの発表をする。
映像科のすべての学生はそれの経験を経て、200枚シナリオ書かなければならなかったことを話した。

私が入学した時は、校長ではなく理事長で入学式と卒業式に顔を出し、数カ月に一度、学校に顔を出されるくらいで、直接指導を受けた経験はないと話した。
とくに印象に残っているのは、今平先生は、場所を構わず、どこでもたばこを吸っていて
突然、今平先生が煙草をポケットから取り出すと、学校では当時は理事クラスの偉い先生方が、使い走りとなり灰皿を探して手元にさしだしていたこと。
偉い先生たちは、かつて今平先生の助監督でかつてからそういう対応をしていただろうと話した。
入学式では「映画をやっても食えない。いまだに私は映画だけでは食えていない」「すべてはチンポがかたいうちだぞ」という有名な語録を話されたことなど、私が見知っていることの限りを伝えた。
入学式とかのあとの飲み会で、乾杯の音頭の前からバクバクと喰い物をつまんで食べておられたことも。

そんな映画学校の一面を一通り話した後、お客さんの反応は、当然、虚構と現実のはざまを見せている「人間蒸発」映画の内容になった。
祈祷師のシーンは仏壇をどこからどうやって撮っているのかとか、本で読んだり武重邦夫先生から直接聞いた話をした。
最終的には、劇中で、ことの真相の究明を求められ、今平さんは「セットを飛ばせ」と言い放ち、真相はどこにあるのか、その当事者本人すらわからないとまくしたてる、
このシーンひいては、隠し撮りや露口茂以外にも代役の役者を使ったシーンなど、映画の倫理について映画を観ていた若いブラジルのシネフィルから聞かれた。
まずは、映画の主人公であるネズミは試写で見て驚いて映画館を飛び出したこと。
今平先生の晩年までネズミと和解はなかったが、それでもネズミと最終的には和解したことをまず伝えた。
今平監督は、「これはフィクションである」と作中でしきりに訴えている。これは映画でありフィクションであると。
昨今、ドキュメンタリー映画でことの真相や答を映画に求める観客もいるが、不定形な人間をとらえるということは、
誰でもわかる明快な答えを用意するじゃないんだと改めて言われている気がしたと自分の感想を述べた。
ちょうど昨年か一昨年の映画祭でもドキュメンタリーの倫理について特集があったそうで、

もうひとつ、鋭い質問がもう一つ来た、別のシネフィルの若い成年は、「復讐するは我にあり」をすでに見ていて、この「人間蒸発」は根本的には、同じく人間の深い欲望を描いていて
そのスタイルこそ違えども根本は同じじゃないかという鋭い質問を受けた。
とにかく、今平監督作品の基礎は徹底した調査があり、人間研究ではないでしょうかと話をした。
この辺りは、もっと適任者が話してくれればよかったのにと思いつつも、この二つの全く違う作品を根本的には同じじゃないかといったシネフィルの成年の質問に感謝した。

私が卒業して10年以上たったが、この程度しか話すことはできなかった、今平先生、これでは落第点だったでしょうが、次のリオの特集上映でもまな板の鯉になってきます。