家なし

「松林の映画って、故郷を失ったり、家をなくした人を撮っているよね。最近の馬の映画だってそうじゃん」
三浦哲哉という批評家とよく飲んでいる。三浦の出身は郡山のふぐずまの人。
先週も新宿のゴールデン街で飲んだくれた。
監督デューしたあとに先輩から「批評家と仲良くなるもんじゃない」と言われたことを思い出したが
まあ、よくもわるくも三浦は人柄がいいのと、
時々自分でも気がつかないようなことを指摘してくれるからだろうか。


冒頭にあるように自作について振り返ってみると、
「拝啓人間様」という卒業制作は、ホームレスが仕事を探す。
その過程を撮った。
時の校長の佐藤忠男先生に
「近年まれにみる問題作。ドキュメンタリーの限界を超えた愛のない映画」と批評された。
どんなへたくそな学生の映画も褒めちぎる佐藤先生からボロカスに言われたことは、
今も大切な経験になっている。
通っていた映画学校の卒業制作で、
一気に劇場公開デビューを果たす監督が続出していた時期、
私はこの映画でデビューとはいかなかった。
ちょうど10年前の2004年に卒業制作発表で上映したが、それを観た人は、
いまだにストーリとかあるシーンとかを必ず思い出してくれる。
印象に残るシーンがあるようだ。

その後、卒業後5年かけ曲折して、「花と兵隊」という映画を作った。
戦後もタイやビルマの国境付近に残り、日本に帰らなかった兵隊さんたちの話。
日本映画学校創始者というか、
今村昌平の「未帰還兵を追って」「無法松故郷に帰る」などに影響を受けている。
そのあたりは「ぼくと未帰還兵との2年8カ月」という本に書いているので、割愛する。

「相馬看花」2011
原発事故で故郷を失った人たちを、その失われる過程を撮っているような映画だ。
宿なしになったり、故郷なしになったりした人を撮っている。
「祭の馬」2013
これも厩舎が津波を浴びて、その後警戒区域に設定され、放置され。
それで生き延びてと。

これまでのことは三浦に言われてハッとしたが、
2004年にアフガニスタンへ行って、
日本に舞い戻ってきたとき住所不定無職の状態になった。
帰国後、学生時代のオオバという友人の家に1ヵ月ほど同棲した。
同棲といっても、
カップルでときどき一緒に寝泊りしている6畳のワンルームアパートに転がり込んだ。
ちょうどポンジュノのTOKYOのような状態だ。
カップル二人が布団で寝て、オレがソファの上で寝るという。
遅くまで飲んだ後に、最終電車を逃して転がり込むスタイルのそれだ。
そんな生活がひと月くらい続いたある日、
しらふでオオバに「みっちゃん(オオバの彼女)と3Pしようぜ」と頼んだところ、すぐに追いだされた。
住所不定無職が野ざらしになり、
それから、数か月草津温泉で泊まり込みで働いて、
小銭をためて経堂のアパートに住みこんだ。
今のアパートにたどりついた。
それが、また追いだされようとしている。

話は、うちのアパートがなくなるという状態を先日書いた
まだオレだけだったらいいのに、
94歳になる大家のおばあさんも、どこにいって住めばいいのか、
娘たちによって送られてくる老人ホームの資料に付箋を貼ってながめている。

いままさに自分が映画のテーマの中に追い込まれていることに自覚して、
3畳間の大家さんなど映像を撮り始めた。
作品化するつもりはないが、
なんだかこの様子を残しておきたいなと思ってしまっている。

今日、これから小田急線の高架下にある荷物置き場をのぞいてきます。