パオ語とトゥンユーズ語

ダンという在日ビルマ人と共に、高田馬場に行く。
目的は、パオ語をわかるとされるコン・アウンさんという在日ビルマ人に会うためだ。JR高田馬場駅を降り、アトムやブラックジャック手塚治虫の絵が描かれた高架橋をくぐる。ダンの案内で、目の前にあるシャン族の料理店があるオレンジ色のビルの8階に入る。
アパートの一室を改装した部屋には、ミャンマーからの輸入品があふれていた。
高田馬場ビルマ土産を買った。
パオ語が分かるコン・アウン氏をコーディネートしてくれたビルマ人に土産を渡すためだったが、この高田馬場の空気に、何もかもあべこべを感じた。
店に置かれているものの値段は現地の60倍以上のものもある。ミヤワディで買うと、約40円の漢方薬のようなものが、2500円で売られていた。在日ビルマ人が多いこの地域ならではの商売だろうが、店員いわく、輸送量と、それを使う人のニーズを考え、コストを考えるとそれでも商売は成り立たない。
バンコクをはじめ、海外で見かける日本の食材も、およそ日本で買う2倍から3倍で売られていることを考えると、海外にいる日本人と日本円の関係と、日本にいるビルマ人とビルマチャットに基づく製品の需要と供給の違いを思わずにはいられない。
ダンは電話でやり取りをし、コーディネーターから住所を告げられ「コーヒー色したビルを目指してください」と連絡を受けた。その場にゆくと、在日ビルマ連邦少数民族協議会の郵便受けがあった。その場で再び電話を入れ、その部屋に入ってくださいと、指示を受けた。
指示の内容も簡素的だったが、ひっそりと在日ビルマ連邦少数民族協議会があった。理事会長のマイチョウウー氏が温かく受け入れてくれた。見た目は、日本にいる日本人と全く変わりない。
話は脱線するが、義父はタキン党のメンバーで、ビルマ戦線で戦時中から日本と縁があったそうだ。これには心が熱くさせられた。
日本側の南機関にかかわっていた人は、数名あたりが付いて、これまで取材もできていたが、ビルマ側の南機関のメンバーか誰かと縁があれば、とひっそりと期待していたからだった。
話は戻る、未帰還兵の記録映画の成り立ちから、今まで編集していることを告げる。これまでの大まかな経緯を説明していると、コン・アウンさんが着た。
彼の前で、パオ語とされる部分を、パソコンのDVDプレーヤーで再生した。坂井さんの妻マーミャイと、中野さんの妻マオンジが話をしている一連を見てもらう。
スピーカーを耳に押し付けて聴いている。「これは、同じパオ族でもトゥンユーズー族ですね」パオ族といってもシャン州に住むパオ族、タヌ族、インダー族、トゥンユーズ族など4つにわかれる。
お互いの言葉は7割程度しかわからないそうだ。お手上げになった。
翻訳箇所の割り出しから、話は振り出しに戻った。
しかし、たまたま、マーミャイが地元の人と話をしている場所は、トゥンユーズ語でなく、パオ語だったため、今後の流れをつかむうえで、話が早かったが、マーミャイの姉妹の話は、より土着性が強いトゥンユーズ語だった。この言葉を分かる人は、日本にいないそうだ。
そういえば、子供のころ、祖父が佐賀に行けば、「そがん」と佐賀弁を使い、大川にもどると「そげん」と言葉が筑後弁に変わることをふと思い出した。
80年前の日本も同じように、土地に基づく言葉があっただろうが、田舎に帰って、老人の言葉を聞かない限り、もう、僕の周りでは、土地のにおいを感じることができない。ましてや、東京にいては、何もかも飲み込まれそうに感じてしまう。