〔町の様子〕〔選挙〕

motokiM2005-09-05

〔町の様子〕 

①まず初めに、カーブルの町が見渡せるTV塔が立つ小山に登りました。小山といっても下町から500mほど車で上ったです。そこから市内が一望できます。市内を眺望できる山頂ちかくにも家がありました。


その中に、現在建設中の家もありました。山が多いアフガニスタンでは、経済的に貧しい人が、山の手に生活すると言うことです。山の頂上に近づくほど、質素な作りの家がありました。そこで現在家を作っている兄弟に話を聞きました。


生まれたときからカーブルに住んでいた。しかし、10年前の内戦のときに難民としてジャララバードという町に逃げ、カルザイが大統領として就任してから、ジャララバードから戻ってきた。昔住んでいたところはすっかり形をなくし、現在、新しく家を建てているということでした。彼らが言うには、様々な国が援助をやっている。しかし、自分たちのような、貧民層には全く援助が届いていないということでした。


山にいるために水に不自由し、生活用水は下町からトラックで売りに来て、それを買わなければ生活できない。山頂で生活している人にとって、水を購入するのは、大変なことが想像できました。現金収入はたまに町に出て、トラックの荷物の積み込みなどをして日銭を得ると言うことでした。


②町の車工場街に行きました。彼らの車の技術は日本の術の種類とはまったく違い、車を製造し、市場に出して利益を得るのではなく、手元にある物を工夫して直したり、壊れたエンジンの部品などを旋盤でつくり出し、既存の部品の代用としてつくり出す技術があります。今日、訪れたと車工場街でも、幼い子どもが、技術を得てしっかり生活していました。昨日書いたように、中学生がエンジンを分解してオーバーホールする技術があるのです。


彼らと同世代の機械が好きな日本の少年が見たら、すごく驚き、彼らの技術を尊敬するのではないかと思いました。日本側の学生の関心があったり、趣味に関するプロフィールが詳しくあれるのであれば、今後は、例えば、公園でバレーボールをしている学生などを映像で紹介できるのかもしれないと思いました。





〔選挙〕
カーブル市新市街公園に行きました。そこでは、選挙運動があり、選挙運動は、テレビを通じて行われていました。選挙管理委員により、公園にテレビが設置され、そこにタイのバンコクの屋台でだされているようなプラスチックで出来た座席が用意されていました。そこで、選挙のポスターを観ている人にインタビューを行いました。この選挙に対し、なにを期待しているのかという質問に対して、平和へ導いてくれる指導者を望むと言うことでした。


選挙の結果次第で、戦争になると思うかという質問に対して、もう戦争は疲れてしまった。本当に嫌だから平和がほしいと言うことでした。現政権を支持するという意味ではなく、ただ、本当に戦争はたくさんだという意見をもらいました。その意見を言った人が地雷で足を失っているのですから、十分に痛みを知っている説得力のある声だと感じました。

〔感じたこと〕
中心街にいると、ときどき罵声が飛んできます。通訳によれば「これまでもなにもしなかったくせに、選挙が終わったても、なにもしないのだろ…」この意見が来たときにとても寂しくなりました。通訳のモハマディンは気にするなと言うのですが、この国の歴史を知れば、とても実感のできる言葉です。外国人はいまいち信用されていません。服装をシャルワールカミスに変えようと思いました。


一言で言えば、アフガン人の外国人に対する不信感は強いのです。一つに、通訳のモハマッデインの歴史観によれば、これまで、何度も外国と縁を持ち、そのたびに戦争に巻き込まれてきたのです。1979年にソ連が侵攻し、そして、アフガニスタンで冷戦の代理戦争が行われソ連が撤退して、軍閥によって内戦が始まったのです。その後、パキスタンからやってきたタリバーンアフガニスタンの内戦に終止符を打たせたというが、その後のアラブとの結びつきにより、アメリカとの戦争に巻き込まれた。

通訳のモハマディンは難民として、パキスタンで13年間難民生活を送ったと言うことです。そのため、彼はパキスタンで難民という理由で差別を受け、パキスタンという国を憎んでいるのです。パキスタンでも良い仲間はいたそうですが、パキスタンと言う国を憎んでいるのです。

彼自身、私たちのような外国人と仕事を行っているのですが、二つめに国際的な支援団体は、内戦の肝心なときにアフガニスタンから目を背け、そして、2002年以降、復興を行うためという理由で、カーブルを初めアフガニスタンでは、世界中の支援団体が、やって来ています。結局は何もせず出ていくという意識が強いのです。選挙が終わったら、またなにも協力せずに帰るのかといわれると、とても寂しくなります。

今後

今回の目的は、対話プロジェクトできているので、高校生による対話を行い、人と人の結びつきを少しながらでも作っていくと言うことです。お互いの高校生に、僕が感じている対話を感じて欲しいです。